【保存版・資料集】放送法4条1項の番組編集準則をめぐる大臣答弁と資料

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2015年から2016年にかけて、放送法・電波法をめぐる総務大臣の国会答弁が数多く報道されました。 

これまでの国会の議論は、国会会議録検索のウェブサイトから会議録を読むことができます。会議録から、放送番組編集準則をめぐる郵政大臣・総務大臣の主だった国会答弁を拾ってみました。参考になる資料も合わせてあげています。
国会答弁を見ると、郵政省・総務省の見解に変化があることが分かります。
注意が必要なのは、放送法の条文数が現在の条文数と違っていることです。答弁の中で[注:現在の○○条]という注意書きをつけておきました。

古い資料は1950年にさかのぼります。
放送法案が国会に提出されたときに、政府委員の網島毅電波監理庁長官が国会で提案理由を説明しています。
放送法は電波法と電波監理委員会設置法と一緒に国会に提出され、「電波三法」と呼ばれました。
ここから出発です。

 

放送法案の提案理由:網島毅電波監理庁長官の説明(1950〈昭和25〉年1月24日第7回国会衆議院電気通信委員会議録第1号)

「放送法案は、第一條に示してございます三大原則に従いまして、放送を公共の福祉に適合するように規律いたしまして、その健全な発達をはかることを目的として立案されたものでございます。この法案も、放送の経営及び規律に関する各国の例を研究調査いたしまして、その長所をとり、かつわが国の国情も十分考慮して立法したものでありまして、放送立法について世界に一つの新例を開くものでございます。」

 

「放送番組につきましては、第1条に、放送による表現の自由を根本原則として掲げまして、政府は放送番組に対する検閲、監督等は一切行わないのでございます。放送番組の編集は、放送事業者の自律にまかされてはおりますが、全然放任しているのではございません。この法律のうちで放送の準則というべきものが規律されておりまして、この法律で番組を編成することになっております。」

 

「次に電波監理委員会設置法の概要を申し上げたいと存ずるのであります。・・・この行政機関をいかなる形で構成するかという点につきましては、第一に、電波管理及び放送の規律がきわめて公平に行われなければならないこと、第二に、そのためには一党一派、その他一部の勢力からの支配から分離したものでなければならないこと、第三に、その機関の政策には相当長期にわたつて、政変等によつて容易に変動しない恒久性を持たせるとともに、時代の変遷に伴つて漸進的に改まつて行く改変性をも與え得るようにいたしましてこの両者の調和を確保し得るようにしなければならないこと。第四に、その機関の機能といたしましては、前に電波法案の項で申し上げましたように、單に行政の執行ばかりではなく、半立法的あるいは半司法的なものをも果さなければならないことというようなことを考慮いたしました結果、委員会制をとることといたしまして、その委員長及び委員の任命、任命要件、欠格事項、任期、罷免、会議手続等につきまして、詳細な規定を設けた次第でございます。」

 

この後、番組編集準則の解釈について参考になる資料として、1963年の『臨時放送関係法制調査会』に対し提出された郵政省の資料があります。

郵政省「放送関係法制に関する検討上の問題点とその分析」(362頁)

個々の放送内容については、前記の4原則が守られているか否か、また、教養、教育、放送および娯楽の放送番組の相互の間の調和がうまくとれているか否かの認定は、具体的に個々の放送番組内容にまで深く立ち入っていかない限り、到底できるものではない。個々の放送内容について、前記の4原則が守られていないことを挙証するのはきわめて困難であり、また、放改正をして許される範囲内での新たな法的規制を加えて遵守を義務づけうるとしても、これが遵守されていないことを挙証することは同様に困難であるというほかなく、結局は、最終的には訴訟によらなければどうにもならない問題であろう。

したがって、法に規定されるべき放送番組編集上の準則は、現実問題としては、一つの目標であって、法の実際的効果としては多分に精神的規定の域を出ないものと考える。要は、事業者の自律にまつほかない。

 

70年代と80年代は、番組編集準則は精神的規定つまり倫理規定だという立場が続きます。いろいろな答弁があります。

 廣瀬正雄郵政大臣答弁(1972〈昭和47〉年6月8日第68回参議院逓信委員会会議録第20号)

「番組の向上というものを、あるいは行政指導でありますとか、あるいは監督の強化でありまるとかいうようなことでやるということは、結局、効果の少ないものであり、またいろいろ弊害を伴う」。

「現在の法制のたてまえといたしまして一番効果のあることは、このNHKを含めまして放送事業者が自主的に番組の向上に努力してもらうと、その気持ちを促進することがきわめて肝要だと思うんでありまして、44条の3項[注:現在の4条1項]にいろいろ準則が列挙してありますけれども、これによって直ちに電波法の76条に持っていくわけにはまいらないということは、すでに御承知のとおりでございまして、44条の3項に列挙しておりますことは、総体的な解釈をしなければならない。一つの番組に瞬間的にあるいは短時間あの準則に違反することがございましても、全編として、その編を通じまして違反することがなければ問題になりませんし、また断片的でなく、瞬間的でなく、全編を通じましてこの準則に抵触をいたしておりましても、それだけでは足らないのでありまして、何回か繰り返されるというようなことで、つまり44条の3項というのは、総体的に解釈しなければならぬ。全編を通じてそういうことがあり、しかもたびたび繰り返されるというような事実がなければ76条に持っていけない。しかもビデオテープをとるわけにはいかないことになっておりますわけでございますから、44条の3項にちゃんと列挙いたしておりますけれども、事実総体的にそういうようなことがございましても、何らかの証拠によって76条に持っていくということはできないわけでございますから、私は現在の法制の立場から申しますと、やはり放送事業者が、自主的に放送番組の向上に努力なさるということ以外には方法はないと思いますが、幸いに各放送事業者とも番組審議会という自主的な機関を持っておりまして、また、NHK、民間放送業者が提携いたしまして、番組向上委員会というのをつくってありますので、こういうような自主的な機関によって、法制的でなく、自主的な機関によって番組の向上をはかっていくということ以外に私は効果的な方法はないと、このようにも考えておりますわけでございます。」

 

石川晃夫郵政省電波管理局長答弁(1977年〈昭和52年〉4月27日第80回国会衆議院逓信委員会会議録第13号)

「この番組につきましては、御案内のとおりその検閲ができないということになっております。したがって、番組の内部に立ち至るということはできませんから、そういう意味で番組が放送法違反という理由で行政処分するということは事実上不可能でございます。」

「この3条にございます『法律に定める権限に基く』ということは、いまの44条[注:現在の4条1項]のようなことを言っておるのではなくて、51条とかこのあたりの問題の、たとえば広告放送の告知とか候補者放送、こういうようなことを言っているのでございまして、番組そのものの内容を言っているわけではございません。」

「この44条に述べておりますのは、そういうことで放送のあり方というものについて言っておるわけでございます。したがいまして、放送番組というものがどういう形で行われるべきであるかということは、その放送番組の基準は、ほかの章にございますようにそれぞれの会社において、いわゆる事業者において決定する。その番組の基準に従って行っていただくわけでございまして、その基準の内容に政府が関与するということはないということでございます。」 

「おっしゃいますように、各事業者がつくります番組基準というものはこういうような要件を満たしてつくるべきであるということを指示しているわけでございまして、具体的な内容を指示しているものではございません。」

「一例を挙げますと、たとえばここにございますような『公安及び善良な風俗を害しないこと。』とか、あるいは『政治的に公平』ということにつきまして、こういうものは政治的に不公平であるとか、こういうものが善良な風俗を害しているとか、こういうようなことを言っているわけではございませんでして、これはそれぞれの放送事業者において判断して、その趣旨にのっとって番組基準をつくる、こういうことでございます。」

 

鴨光一郎郵政省電波監理局放送部長答弁(1977年〈昭和52年〉4月27日第80回国会衆議院逓信委員会会議録第13号)

「44条3項[注:現在の4条1項]にございますのは放送事業者が守るべき準則でございまして、先生御指摘のように、違反をしているという事実が出てくる場合もございますけれども、先ほど局長がお答え申し上げましたのは、そのような44条3項違反という事実につきまして、政府、郵政省がこれを判断する権限を与えられていないということをお答え申し上げたわけでございます。」

「番組につきましては放送事業者が判断をする、そしてその判断の是非ということにつきまして、なお番組審議会、あるいはさらに申しますならば世論の批判というふうなものがこれに加わってまいろうかと思います。それで、先ほどから申し上げておりますように、政府が番組内容の判断をする権限という意味では、放送法3条に言いますところの権限が与えられていないというのが現状でございまして、その点に関しましては、少し別の条文でございますが、放送法49条の2[注:現在の175条]というのがございまして、これは昭和34年の改正で追加された条文でございますが、「郵政大臣は、この法律の施行に必要な限度において、政令の定めるところにより、協会に対しその業務に関し資料の提出を求めることができる。」となっておるわけでございます。この49条の2を追加いたします放送法改正の国会における御審議の際に、この「資料の提出」の中には放送番組に関する事項を含まない、これは政令で定めることになっておりますけれども、そういう国会での御議論を踏まえまして、現在の政令、放送法施行令でございますが、できているわけでございまして、そういう意味で、政府におきましては、番組内容についての資料をとる権限が与えられていない。したがって、先ほど申しましたように、政府が番組のよしあしを判断する権限が与えられていないということをお答え申し上げたわけでございます。

なお、先ほど申しましたように、しからば放送違反ということがないのかという点につきましては、放送事業者自身が自主的にこれを判断する、あるいは番組審議会あるいは世論といったものがその是非を批判をしていただくというのが、現在の言論表現の自由を前提にいたしました放送法のたてまえであろうかと考えております。」

 

次の答弁を見ると、1985年に、民放の深夜番組の性表現に対する批判が高まったときでも、政府は放送局が自主的に責任を持つことを求めていたことが分かります。

左藤恵郵政大臣(1985年〈昭和60年〉2月8日第102回国会衆議院予算委員会会議録大臣第7号)

「確かに最近の民間放送の番組の中には今お話しのような問題のあると思われるような番組が非常に多いわけでありますけれども、これは今お話がございましたように、茶の間にストレートに飛び込んでいくという点から見まして、放送事業者がもっと自主的に責任を持って、社会に対する責任としてやらなければならない。放送法の四十四条の三項[注:現在の4条1項]に、今お話しのような公安それから善良な風俗に反してはならないという規定があるわけでありますから、そういった点で自主的にやってもらう以外にないのじゃないか、このように思います。」

 

ただ、次の民放会社の深夜番組の性表現に対する批判に関連しての中曽根総理大臣の答弁は、郵政大臣とは少し違うトーンに感じられます。

中曽根康弘総理大臣答弁(1985年〈昭和60年〉2月8日第102回国会衆議院予算委員会会議録第7号)

「まず当面は、郵政省が監督権を持っておるわけでございますから、郵政省の側においてよく民放の諸君とも話をしてもらって、そしていやが上にも自粛してもらうし、その実をあげてもらう。郵政省としてはそれをチェックして見て、そして繰り返さないようにこれに警告を発するなり、しかるべき措置をやらしたいと思います。」

 

この総理大臣の答弁後、郵政省は民放各社の社長と放送番組審議会委員長に、放送番組における行き過ぎた性・暴力等の取扱いの自粛を求める「番組基準の遵守と放送番組の充実向上」に関する要請文を左藤恵郵政大臣名で出しています。

90年代になると、総務省の立場はがらりと変わります。

その背景には、1993年に国会で取り上げられた、やらせ問題と「椿発言」問題があります。日本民間放送連盟が出している『放送倫理手帳』によると、1992年から1993年にかけて次の4つの番組が問題になったことがあるとのことです。これらの番組の詳細は、本や雑誌のような活字メディアと異なり、テレビ番組をのちに視聴することが難しいことから、残念ながらよくわかりません。

  • 朝日放送の「素敵にドキュメント」:92年7月17日に放送された「追跡・女子大生 OLの性24時」で出演したOLさんが制作スタッフの知りあいだった。
  • NHKの「NHKスペシャル」:92年9月30日に放送された「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」で、「流砂」を起こしたり、スタッフに高山病の演技をさせたりしたことが問題になった。
  • 読売テレビの「どーなるスコープ」:92年11月8日に放送された「出張アンケート 看護婦さん大会」に出演した看護婦が看護婦ではなかった。
  • テレビ朝日の『ザ・スクープ』:93年9月11日に放送された「死刑囚の臓器が売買されている!?中国の処刑場に潜入」で、制服を着て証言をした武装警官が実は民間人だった。

”やらせではないか?”とテレビ番組が問題になることがあります。これらの番組がやらせであったかどうかはさておき、やらせと演出の違いはそれほど簡単ではないことを、番組制作者が書いたものを読むとわかってきます。たとえば、今野勉さんの『テレビの嘘を見破る』新潮新書、2004年)など、様々な番組制作者が書いています。

 

木下昌浩郵政省放送行政局長答弁(1993年〈平成5年〉2月22日第126回国会衆議院逓信委員会会議録第4号)

「基本的な考え方は、先ほど申し上げましたように、放送事業者の自主規律ということでやっていくべきだというふうに思っております。

ただいま放送法の仕組みの話としてでございますが、放送法の三条の二[注:現在の4条1項]におきまして、「報道は事実をまげないですること。」という規定がございますので、これに反する、事実を曲げて報道をしたということであれば、この放送法違反ということに相なるわけでございまして、それで形式論的にだけ申し上げますと、それが電波法76条において、この法律に違反した場合においては今おっしゃいましたような放送の電波の停波とかというような行政処分を行うことが法律上は可能になっているところでございます。

しかしながら、冒頭申し上げましたように、やはり放送番組の適正化という点につきましては自律に基づくということを基本的な考え方としてやっていくべきであると思いますので、そういう点でこの解釈適用につきましては慎重であるべきというふうに考えます。」

 

先にあげた4つの番組のうち3つがこの木下放送行政局長の答弁の前に放送されています。この時点でも、テレビ局の自主規律が、自律が言及されていたわけです。
ところが、この少し後の1993年10月にいわゆる「椿発言」問題が起きます。

「椿発言」問題というのは、テレビ局制作者であっても若い世代の方は知らないでしょう。また、不正確に理解されているところもあるようです。この問題については、何といっても、実際に「椿発言」を聞いていた清水英夫氏(青山学院大学名誉教授、初代BPO理事長)の論文を確認するのがいいでしょう。
清水氏は、当時、日本民間放送連盟(民放連)の放送番組調査会の委員長を務めていて、椿氏の発言について詳しく書いています。「放送法における政治的公平と憲法――テレビ朝日・椿事件を手がかりに――」(杉原泰雄・樋口陽一・森英樹編『戦後法学と憲法:歴史・現状・展望 : 長谷川正安先生追悼論集』日本評論社、2012年)

この論文によると、「椿発言」問題とは、93年10月13日に産経新聞が、9月21日に開かれた民放連の放送番組調査会で、椿テレビ朝日報道局長が、「非自民政権が生まれるように報道せよ」と指示した、と報道し、その発言をめぐる一連の動きのことを指しています。
93年7月に衆議院議員総選挙があり、自民党が議席を減らして、非自民の細川連立政権が誕生しています。椿氏の発言が本当ならば、テレビが政権交代がおきるように偏った報道をしたということになるため、大騒ぎになったようです。椿氏の国会での証人喚問や郵政省の調査が行われました。

ただ、民放連が郵政省に提出した調査会当日の議事録には、非自民党政権が生まれるように報道せよと指示したというような発言はありませんでした。民放連が議事録を国会に提出したことは批判されています。

 

江川晃正郵政省放送行政局長答弁(1993年〈平成5年〉10月27日第128回国会衆議院逓信委員会会議録第2号)

「政治的公平ということにつきましては、放送法は表現の自由を保障する一方で、御案内のように、同法第3条の2の第1項[注:現在の4条1項]第2号におきまして、放送番組の編集に当たっては『政治的に公平であること。』というふうに求められているところでございます。

そこで、その政治的公平であることというのはどういうことかということにつきましては、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たりましては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組が全体としてバランスのとれたものでなければならないと考えておりまして、あわせて同項第四号の趣旨との関連におきまして、政治的に意見が対立している問題については、積極的に争点を明らかにし、できるだけ多くの観点から論じられるべきものだというふうに考えております。

それで、では政治的公正をだれが判断するのかというところでございますが、これは最終的には郵政省において、そのこと自身の政治的公正であったかないかについては判断するということでございます。ただ、その判断材料につきましては、放送番組の編集に当たっては自主性をたっとぶという立場にございますので、まず、放送事業者において、我が番組における公正さというものを説明してもらう、それを受けて我々が判断するというふうにしているところでございます。」

 

この答弁などから、郵政省は、番組編集準則を倫理規定と解する立場から、法的拘束力ある規定と解する立場に変わったと考えられています。

結局「政治的公平性」に違反した報道はあったのでしょうか、なかったのでしょうか?このことはきちんと押さえておく必要があるでしょう。
テレビ朝日は、94年8月に報告書を公表して、「不公正な報道はなかった」と結論づけています。郵政大臣がテレビ朝日に対して行った厳重注意の行政指導(94年9月2日)の理由には、放送法に違反する事実は認められないが、役職員などに対する教育を含む経営管理面で問題があったと書かれています。
放送法に違反する事実は認められないということは、政治的公平性を損ねる報道はなかったということを指しています。

このあと「多チャ懇」ができます。

 「多チャ懇」とは、「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」のことです。
大出俊郵政大臣は、政治的公平について研究する必要があると述べて、95年には放送行政局長の私的諮問機関として設置しています。東京大学学長だった有馬朗人氏が座長になりました。96年に公表された「多チャ懇」の報告書には、「政治的公平は放送事業者の努力によって確保されるのが重要であり、放送事業者は政治的公平の確保に関する取組内容を自主的に公表することが望ましい」と書かれています。 

振り返ると、04年に節目になるようなことがあったといえるのではないでしょうか。04年までの郵政省・総務省の行政指導には、「政治的公平性」を理由にしたものはありませんでしたが、民放連の『放送倫理手帳』を確認すると、この年の6月22日に「政治的公平性」を理由にする次の2件の行政指導が行われています。総務省情報通信政策局長の厳重注意です。後にも先にも、「政治的公平性」を理由に行政指導が行われたのは、この2件だけです。

このうちのテレビ朝日の番組は、03年つまり平成15年の11月に行われ、民主党が大きく議席を増やした衆議院議員総選挙に関係しています。 

  •  テレビ朝日『ニュースステーション』:総選挙期間中の03年11月4日に、民主党・菅直人代表たちが出演し、マニフェストや総選挙に勝ったときに誰を主要官僚にするかなどを約30分にわたって報道。
  • 山形テレビの番組:04年3月20日に、自民党山形県が制作した、山形県選出の自民党国会議員の討論会を主にした広報番組を85分放送。CMなし。

 

05年にも、放送番組の行政指導に関する総務大臣の答弁が見られます。

麻生太郎総務大臣答弁(2005年〈平成17年〉8月3日第162回国会参議院本会議会議録第33号)

「次に、行政指導についてのお尋ねがありました。
総務省としては、放送の健全な発達にかかわる観点から、放送番組について社会的に大きな影響を及ぼすような事案が発生した場合は、放送法第3条の2[注:現4条]の規定などに照らし、再発することのないよう、慎重に検討し行政指導を行っております。この行政指導は、放送の健全な発達を図る上で、再発防止のための放送事業者としての自主規律を求めるものであって、必要かつ適切なものであると考えております。
最後に、電波・放送行政を独立行政委員会に移管すべきかとの点についてのお尋ねがあっております。
有限な資源であります電波の割当てや放送政策の展開については、技術革新の動向などを踏まえ、機動的、戦略的に行っていく必要があります。また、戦後、電波監理委員会などの行政委員会が廃止された経緯や、我が国では内閣の一員である各省大臣が責任を持って行政を執行する議院内閣制を取っていることも踏まえ、引き続き、独任制の省の形態が適当であると考えております。」

 

そして、07年3月に「あるある」問題が発生します。情報バラエティー番組の「発掘!あるある大事典Ⅱ」で、納豆に関するデータがねつ造されていたことが判明します。
菅義偉総務大臣が3月30日に「警告」の行政指導を行い、再発防止措置やその実施状況について報告を求めて、今後の再発には「法令に基づき厳正に対処する」として、電波法76条を適用する可能性を示唆しました。その10日前に、菅大臣は国会答弁で次のように述べています。

菅義偉総務大臣答弁(2007年〈平成19年〉3月20日第166回国会衆議院総務委員会会議録第4号)

「昨今のこの番組であります。あの関西テレビですか、「あるある大事典」という中で捏造されたものが番組として放送されたと。公共の電波を所管をする大臣として、やはりそうした電波の果たす役割というのは極めて影響も大きいわけでありますから、私は、事実に基づいて報道をしていただきたいというのは、これは御理解をいただけるというように思います。しかし、あの番組については明らかに捏造したものが放送されている。私はその所管大臣として非常に深刻に考えました。

昨年も実は私ども、行政指導という形で四件させていただいています。その中で一つ、例えばインゲンマメが減量に効くということで、インゲンマメを食べた方が入院をしたという騒ぎもありました。そうした番組が事実と異なったような場合は、私ども、その報告を求めて、再発防止策というものをそれぞれの放送局にお願いをした事例もあります。

しかし、それにもかかわらず、今回このような「あるある大事典」で捏造が繰り返されたと。そういう中で私は、私どもは行政指導として再発防止策というものをそれぞれの放送事業者から受けていたわけでありますけれども、更に一歩進めまして、法的によってこの再発防止策というものは必要ではないかなというふうに、実は私は考えました。

というのは、行政指導と罰則の間に余りにも開きがあるんですね。行政指導、私ども総務大臣としては厳重注意であります。しかし、その上はもう停波か免許取消ししかないわけでありますから、そこの間に再発防止策、自ら再発防止策を考えて、そして国民の皆さんにオープンにして約束してもらう、こういうことは私はあっていいのかなという、そういうことを考えまして、国民の電波を所管をする大臣として、そうしたことを再発防止策として今考えているというところであります。」


この再発防止を盛り込んだ新たな行政処分を設ける放送法改正案が、4月に第166回国会に提出されました。条文を見てみましょう。

第53条の8の2 総務大臣は、放送事業者(受託放送事業者を除く。)が、虚偽の説明により事実でない事項を事実であると誤解させるような放送であって、国民経済又は国民生活に悪影響を及ぼし、又は及ぼすおそれがあるものを行い、又は委託して行わせたと認めるときは、当該放送事業者に対し、期間を定めて、同様の放送の再発の防止を図るための計画の策定及びその提出を求めることができる。

2 総務大臣は、前項の計画を受理したときは、これを検討して意見を付し、公表するものとする。

 

菅義偉総務大臣答弁(2007年〈平成19年〉5月22日第166回国会衆議院本会議会議録第33号)

「第三に、虚偽の説明により事実でない事項を事実であると誤解させるような放送により、国民生活に悪影響を及ぼすおそれ等がある場合、総務大臣は、放送事業者に対し再発防止計画の提出を求めることができることとしております。本法律案において新たに設けることとされております再発防止計画の提出の求めに係る規定については、放送事業者が虚偽の説明により事実でない事項を事実であると誤解させるような放送であって、国民経済または国民生活に悪影響を及ぼし、または及ぼすおそれがあるものを行ったことをみずから認めた場合のみを適用の対象とすることといたしております。

なお、今般の再発防止計画の提出の求めに係る規定の新設と時を同じくして、日本放送協会及び民間放送事業者が自主的にBPOの機能強化による番組問題再発防止への取り組みを開始したことにかんがみ、BPOによる取り組みが機能していると認められる間は、再発防止計画の提出の求めに係る規定を適用しないことといたします。」

 

菅大臣の「BPOによる取り組み」というのは、放送倫理・番組向上機構(BPO)に放送倫理検証委員会が創設されたことを指しています。最終的に、新たな行政処分の規定が削除された放送法改正案が成立しました。

 さて、2009年9月に民主党政権が誕生しました。民主党政権は、番組編集準則に法的拘束力があるという立場を取っており、実際に行政処分を行うかどうかについては慎重な立場だったようです。ただし、自民党政権時代も、行政処分が行われたわけではなく慎重な立場であったことは同様と思われます。


原口一博総務大臣答弁(2010年〈平成22年〉5月18日第174回国会総務委員会会議録17号)

「業務停止命令の制度については、電波法を含む現行の放送法制においてもすべからく整備されているものでございまして、現行法制と比較して放送事業者が放送の自由を侵害される懸念が生じるものではございません。

また、実際に運用に当たっても、法律の規定に違反した放送が行われたことが明らかであることに加え、その放送が公益を害し、放送法の目的にも反し、これを将来に向けて阻止することが必要であり、かつ同一の事業者が同様の事態を繰り返し、かつ事態発生の原因から再発防止のための措置が十分でなく、放送事業者の自主規制に期待するのでは法律を遵守した放送が確保されないと認められるといった、極めて限定的な、BPOがあるわけですから自主規制なんですよ、しかし、それでも今の放送法の規制があるというのは、このような極めて慎重な配慮のもとに運用するものであって、業務停止命令の制度自体が放送事業者の放送の自由の必要以上の制約につながるものではございません。

先ほど放送法の3条を言いました。この3条の規定は何も変えていないんです。つまり、総務大臣がやれる範囲というのは、それは拡大をしているどころか、あの電監審によって逆にチェックを受ける対象だということを御理解いただきたいというふうに思います。」

この答弁は、電波法174条の業務停止命令についてのものです。さらに、次のような答弁もありました。

平岡秀夫総務副大臣答弁(2010年〈平成22年〉11月26日第176回国会総務委員会会議録第6号)

「番組準則については、放送法第3条の2第1項[注:現在の4条1項]で規定しているわけでありますけれども、この番組準則については、我々としては法規範性を有するものであるというふうに従来から考えているところであります。

したがいまして、放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務大臣は、業務停止命令、今回の新放送法の第174条又は電波法第76条に基づく運用停止命令を行うことができるというふうに考えているところでありますけれども、これも従来から御答弁申し上げておりますように、業務停止命令につきましては、法律の規定に違反した放送が行われたことが明らかであることに加えまして、その放送が公益を害し、放送法の目的にも反し、これを将来に向けて阻止することが必要であり、かつ同一の事業者が同様の事態を繰り返し、かつ事態発生の原因から再発防止のための措置が十分でなく、放送事業者の自主規制に期待するのでは法律を遵守した放送が確保されないと認められるといったような極めて限定的な状況にのみ行うこととしているところであり、極めて慎重な配慮の下運用すべきものであるというふうに従来から取り扱ってきているものでありまして、これまでこの業務停止命令を放送法違反を理由として適用した実績は一度もないというような状況になっているところであります。」

 

  自民党・公明党との連立政権が復活した後、2015年に高市早苗総務大臣の答弁がありました。2015年は、安保法制について、社会的に大きな議論が巻き起こった年です。

高市早苗総務大臣答弁(2015年〈平成27年〉5月12日第189回国会参議院総務委員会会議録第8号)

「放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は放送番組の編集に当たり政治的に公平であることが求められております。ここで言う政治的に公平であることとは、これまでの国会答弁を通じて、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく番組全体としてのバランスの取れたものであることと解釈をしてきたところであります。その適合性の判断に当たりましては、一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております。」

「例えば、国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合でも、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められるとされております。」

「放送法は放送事業者の自主自律を基本とする枠組みとなっており、放送番組は、その下で放送事業者が自らの責任において編集するものであります。政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、政治的公平を確保しているということについて国民に対して説明をする必要があると考えております。」

「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます。」

「政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考えます。」

 

2015年から2016年にかけて、いくつかの報道番組のキャスターが降板することが発表され、テレビ番組の政治的公平性の問題が以前にもましてクローズアップされることになりました。その中で、総務大臣が、行政処分の発動の可能性に言及しました。

高市早苗総務大臣答弁(2016年〈平成28年〉2月8日第190回国会衆議院予算委員会会議録第9号)

「政治的な問題を扱う放送番組の編集に当たりましては、これまでの国会答弁を通じて、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく、番組全体としてバランスのとれたものであることと解釈してまいりました。

その適合性の判断ですけれども、先ほど委員が指摘されたとおり、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断することという答弁をしてまいりました。

あわせて、民主党政権時代からもそうですけれども、放送法第4条、これは単なる倫理規定ではなく法規範性を持つものである、こういった形で国会答弁をしてこられました。これはずっとこれまで国会答弁で解釈を示してまいりまして、明文化されたものがないので、多少わかりにくいかと存じます。

平成27年5月12日の参議院の総務委員会で、これまでの解釈の補充的な説明として私が答弁させていただきました。

これまで番組全体としていた理由は、・・・限られた放送時間の中で、なかなか政治的公平性を確保することが物理的に困難な場合というのもありますよね。政党の党首を順繰りに日を変えてインタビューしていくような場合とか、24時間テレビのように、どこまでが一つの番組としていいとか、そういったことを行政が判断できないというような事情もありましたので一つの番組のみでは難しいとしてきたんです。

参議院の答弁で、一つの番組でも、選挙期間中またはそれに近接する期間において殊さらに特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合、また、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊さらに他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合においては、やはりこれは政治的に公平であるということを確保しているとは認められないと、補充的な説明として答弁をさせていただいたところでございます。」

「これまでも、放送法第4条に基づいて業務改善命令であったり、電波法に基づく電波の停止であったり、そういったことはなされておりません。基本的には、放送事業者がやはり自律的にしっかりと放送法を守っていただくということが基本であると考えております。」

「それはあくまでも法律であり、第4条も、これも民主党政権時代から国会答弁で、単なる倫理規定ではなく、法規範性を持つものという位置づけで、しかも電波法も引きながら答弁をしてくださっております。どんなに放送事業者が極端なことをしても、仮に、それに対して改善をしていただきたいという要請、あくまでも行政指導というのは要請になりますけれども、そういったことをしたとしても全く改善されない、公共の電波を使って、全く改善されない、繰り返されるという場合に、全くそれに対して何の対応もしないということをここでお約束するわけにはまいりません。

ほぼ、そこまで極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりませんけれども、法律というのは、やはり法秩序というものをしっかりと守る、違反した場合には罰則規定も用意されていることによって実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。

 

この答弁のあとまもなく、総務省が政府の統一見解として次のようなものを公表しています。

「政治的公平の解釈について(政府統一見解)」(2016年〈平成28年〉2月12日)

放送法第4条第1項において、放送事業者は、放送番組の編集に当たって、「政治的に公平であること」や「報道は事実をまげないですること」や「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」等を確保しなければならないとしている。

この「政治的に公平であること」の解釈は、従来から、「政治的問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から特定の政治的見解に偏ることなく、番組全体としてのバランスのとれたものであること」としており、その適合性の判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の「番組全体を見て判断する」としてきたものである。この従来の解釈については、何ら変更はない。

その際、「番組全体」を見て判断するとしても、「番組全体」は「一つ一つの番組の集合体」であり、一つ一つの番組を見て、全体を判断することは当然のことである。

総務大臣の見解は、一つの番組のみでも、例えば、

① 選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合

② 国論を二分するような政治課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合

といった極端な場合においては、一般論として「政治的に公平であること」を確保しているとは認められないとの考え方を示し、その旨、回答したところである。

これは、「番組全体を見て判断する」というこれまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの。

なお、放送番組は放送事業者が自らの責任において編集するものであり、放送事業者が、自主的、自律的に放送法を遵守していただくものと理解している。

 

この後、ジャーナリストらが、テレビ番組に対する政治的な介入に反対する声明を出し記者会見するなど、議論が続いています。

テレビ番組の制作者にとって、おそらく衝撃的であったのは、これまで番組全体で政治的公平性を判断すると考えていたのに、1番組の中で政治的公平性を保たなければならないと政府が断言したことなのだと思います。
しかし、実はこの考え方は2003年ころから総務省内で取られてた考え方のように思われます。先に触れましたが、2004年に2件あった行政指導のうちテレビ朝日の「ニュースステーション」の事案がそのことを示しています。
番組を視聴していないので、この番組の位置づけがわからなかったのですが、岩崎貞明氏(元テレビ朝日ディレクター・デスク、現メディア総合研究所事務局長)の論文を読むと、「ニュースステーション」では、総選挙中に各党の代表を順番に招いてインタビューする内容だったことがわかります(「政治的公平性をめぐる解釈は誤解だらけ 放送現場は萎縮せず自らの表現を貫け」(Journalism2016年2月号)。民主党だけではなく他党も招いて、「ニュースステーション」という番組全体で政治的公平性の確保を目指していたといえるでしょう。
総選挙期間中にこうした番組を制作することの是非はあるかもしれません。選挙期間中は投票行動に結び付きやすいのではないかという懸念がある一方、選挙が近づいたときだからこそ、市民の政治への関心が高まるのであり、そのときに情報を提供すべきであるという考えもありうるところです。拠って立つ立場によって、政治的公平性を損ねたかどうかの評価も異なりうるところです。難しい問題で、一つひとつの事案に即して考えるほかないようです。
高市大臣の答弁に戻りますが、この答弁は実際には総務省内の実務を述べ、さらに書面で明らかにしたということになるのかもしれません。しかし、大臣の国会答弁や政府見解の書面化が与えるインパクトはことのほか大きいのではないでしょうか。また、行政処分の発動の可能性に言及したのは、これまでの政権の立場から、一歩踏み出したもののようにも捉えられます。テレビの制作者がどのように捉えているのか、大変心配です。