【クイズ】放送番組の内容に関する総務省の行政指導を考える:解答編

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総務省の放送番組内容に関する行政指導クイズを解いてみた?たぶん難しかったんじゃないかな。ぼくが調べた中で正しいと思う解答をあげるよ。

 

解答

Q1:3の「34件」

Q2:警告、文書による厳重注意、口頭による厳重注意、文書による注意、口頭による注意の5種類

Q3:1の「総務大臣」、3の「情報流通行政局長」、4の「政策統括官」、5の「各管区の総合通信局長」の4つ

Q4:2の「報道は事実をまげないですること」、3の「政治的に公平であること」、4の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」、5の「放送番組の編集の基準」の4つ

Q5:2の「報道は事実をまげないですること」

Q6:1の「放送法の規定に違反する事実はなかった」と、5の「役職員を含む経営管理面の問題があった」の2つ

Q7:2の2件

解答について、ごく簡単に解説していきましょう。

 

 第1問

第1問の「2016年10月22日現在で、放送番組の内容に関して総務省が行った行政指導はいくつあるか」という質問の正答は3の「34件」です。
番組内容に限定していますので、CM不正問題やマスメディア集中排除原則違反についての行政指導の件数は含めていません。

放送番組の内容に関して行政指導がなされたのは、1979年の総選挙開票速報で、多重放送の第2音声を使って画面と直接関係ない開票速報と英語による党派別当選者数を流した番組が最初のようです(指導は1980年)。

この事例は民放連が発行している『放送倫理手帳』に掲載されている一覧表の中にはありませんが、先輩の三宅弘弁護士が総務大臣に対して情報公開請求を行い、2007年までの分として開示を受けた行政指導文書の中に含まれていました。

2015年までの35年間で、合計34件の行政指導がなされています。三宅弁護士と共著で出版した『BPOと放送の自由 決定事例から見る人権救済と放送倫理』(日本評論社、2016年)の中に、2007年以降の行政指導も補足して一覧表を掲載しています。

歴代内閣と行政指導の件数との関係について、折れ線グラフを作成しました(首相と大臣の敬称は略しています)。
番組に問題のある事例が多かったから行政指導が多くなったのだという意見もありうるところでしょう。こうした意見によれば行政指導件数のみを比較することはあまり意味がないということになるのかもしれません。しかし、どのような番組を問題あるものとして取り上げるかが内閣によって異なる印象があります。個々の番組内容と照らし合わせると、内閣と行政指導の件数の関係には一定の傾向があるという疑念が拭い去れないところです。

 

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行政指導については行政法の観点からの分析も欠かせません。三宅弁護士の論文「書面交付による行政指導と放送の自由-放送法違反による電波法76条1項の適用について」で分析がなされています。
少し難しいかもしれませんが、ご関心のある方は、原後綜合法律事務所のサイトの[三宅弁護士のページ]に論文が掲載されていますので、のぞいてみてください。その中に2007年までの行政指導の一覧表も掲載されています。

 

第2問

第2問の「行政指導にはどのような種類があるか」という質問の正答は、警告、文書による厳重注意、口頭による厳重注意、文書による注意、口頭による注意の5種類です(民放連『放送倫理手帳 2016』)。

これまでなされた行政指導の件数を種類別で数えると次のようになります。

  • 警告 2件
  • 文書による厳重注意 28件
  • 口頭による厳重注意 0件
  • 文書による注意 2件
  • 口頭による注意 2件

 

第3問

第3問の「行政指導は、総務省のどの役職の人がしているのか」という質問の正答は、1の「総務大臣」、3の「情報流通行政局長」、4の「政策統括官」、5の「各管区の総合通信局長」の4つです。

情報流通行政局長は、放送行政を担当する局長ですが、郵政省時代は放送行政局長、総務省になってからは情報通信行政局長という役職名だったようです。

誰が行政指導を行うのかは、行政指導の軽重に応じて変わるようです。
たとえば、警告事例や文書による厳重注意の事例の半数近くは総務大臣です。残りの半数の文書による厳重注意のほか、口頭による厳重注意と文書による注意は、情報流通行政局長、政策統括官、各管区の総合通信局長が行っています。
口頭による注意は、いずれも各管区の総合通信局長でした。

 

第4問

第4問の「行政指導で放送法の条文に即した理由として挙げられていたものは何か」という質問の正答は以下の4つです。「公安及び善良な風俗を害しないこと」を理由とした行政指導は見受けられません。

  • 2の「報道は事実をまげないですること」(現放送法第4条第1項2号)
  • 3の「政治的な公平であること」(現放送法第4条第1項3号)
  • 4の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(現放送法第4条第1項4号)
  • 5の「放送番組の編集の基準」(現放送法第5条第1項)

注意を要するのは、放送法の条文に変更があったことです。現在の第4条第1項は以前の第3条の2第1項、現在の第5条第1項は以前の第3条の3第1項でしたので、少し前の文献や裁判の判決を読むときに取り違えないようにしなければなりません。

かつては、国民の信頼、放送の公共性、社会的影響力などの抽象的な理由をあげるものは多かったのですが、行政手続法の整備の前後から、放送法の条文に依拠した行政指導に変わっているように思われます。

 

第5問

第5問の「第4問の回答のうち、一番多かった行政指導の理由はどれか」の質問の正答は、2の「報道は事実をまげないですること」で、16件あります。これは意外に思われるかもしれません。「政治的に公平であること」と回答した方もおられるのではないでしょうか。
2番目に多かったのは、「放送番組の編集の基準」を理由とするもので、14件です。問題とされた番組の多くは、サブリミナル映像、不適切・過剰演出などです。
続いて国民の信頼、放送の公共性、社会的影響力などの抽象的な理由をあげるものが13件でした。こうした理由が示される事例が過去に多くありましたが、第4問で書いたように、ある時期から減っています。
「報道は事実をまげないですること」という理由が示された行政指導の事例は、やらせのようなものから、不注意で事実と異なる放送をしたというものまで様々です。具体的な事例を是非見てみてください。
どのような感想を抱かれるでしょうか。

 

第6問

第6問の「1993年に起きた「椿発言」問題で、総務大臣が行った行政指導(厳重注意)で示された理由は何か」という質問の正答は、1の「放送法の規定に違反する事実は認められなかった」と、5の「役職員を含む経営管理面の問題があった」の2つです。

「椿発言」問題については、別の記事”【保存版・資料集】放送法4条1項の番組編集準則をめぐる大臣答弁と資料”で詳しく書きましたので、ここでは繰り返さないことにします。
この問題については、多くの誤解があるように思われます。
行政指導文書には、椿元報道局長が、放送法の第3条の2第1項の規定に違反した放送を行ったと疑われる発言を行ったこと、社会的に問題になったこと、公共性を担う報道機関の使命逸脱への疑いが生じたことなどについて、誠に遺憾という前置きがあります。

続いて行政指導文書は、調査の結果、テレビ朝日の放送には「放送法第3条の2第1項に違反する事実は認められなかったとの結論を得た」「法律に基づく措置はとらないことにした」と明確に書いています。しかし役職員を含む経営管理面で問題があったというのです。
放送法第3条の2第1項に違反する事実は認められなかったというのは、つまりこの問題の発端となった「政治的な公平性を害さないこと」に違反したのではないかという疑義は、違反なしということで晴れたことを示しているはずです。

 

第7問

第7問の「これまで『政治的に公平であること』に違反したことを理由とした行政指導は、何件あったか」という質問の正答は、2の2件です。

いずれも総務省情報通信政策局長による厳重注意で、2004年6月22日という同じ日に行政指導がなされています。
1つは、テレビ朝日『ニュースステーション』が、総選挙期間中に、民主党・菅代表らを招いてインタビューし、同党が総選挙に勝った場合の主要官僚とマニフェストについて約30分にわたり報道した事例です。
もう一つは、山形テレビが、「自民党山形県連特別番組 三宅久之のどうなる山形!~地方の時代の危機~」で、自民党山形県連が製作した山形県選出の同党国会議員による討論会を柱とする85分の広報番組(CMなし)を放送した事例です。
この2つの事例で目を引く違いは、『ニュースステーション』が民主党に続き各党の代表を順番に招いてインタビューするシリーズであったのに対し、山形テレビは他党番組の放送見通しがないまま放送した点にあります。

番組の内容について行政指導があると、そのときは話題になるのですが、振り返って確認しようとすると、本や雑誌と異なり番組内容を確認する手立てがありません。この2つの事例については、メディア総合研究所事務局長で「放送レポート」編集長の岩崎貞明さんが「『政治的公平』をめぐる解釈は誤解だらけ 放送現場は萎縮せず自らの表現を貫け」(Journalism2016年2月号)という論文で紹介しています。併せて政治的公平についての解釈の分析もなされています。

 

 いかがでしょうか。少し説明が足りなかった部分があるかもしれませんが、今後いろいろな記事で補足していきたいと思います。